主夫になったきっかけ。幼子たちを守るための決断。

主夫
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こんにちは。

主夫な大仏です。


今回は私が主夫になったきっかけについての記事です。


当時、私と妻は共働きでした。

2人とも正社員のフルタイム勤務。

子どもは長男4才と長女2才。

朝7時から夜6時半まで、認定こども園の最長保育時間を枠一杯使わせて頂いていました。

私たち夫婦は力を合わせ、頑張っているつもりでした。

ですが、それは単なる自己満足で、子どもたちはそんなことを全く望んでいませんでした。

それは私の勤めていた会社も同じでした。

「男が子育てなんかするな」

それは、酷い女性差別を含んだ言い方でした。

それでも働き方を変えなかった私に、会社は圧力をかけてきました。

重圧に潰されそうになりながらも、私は歯を食いしばって耐えました。

ですが、子どものひと言で、私は主夫になることを決心したのです。


共働き夫婦


約3年間、妻は専業主婦でした。

ですが、もとより社交的な妻は、ずっと社会復帰を願っていました。

産後うつ、育児ノイローゼ、月経異常など、精神的に参っている姿を見てきたので、家にいるのは妻にとっては良くないのだと思い、私は嬉々として彼女の社会復帰を後押ししました。

最初はいきなりのフルタイム勤務ではなく、パートタイマーとしての再出発となりました。

まだ長女は1才になっておらず、日中は祖父母に面倒を見てもらっていました。

初めて歩いた姿を見届けたのは祖父母でした。

2、3歩ですぐに転んで泣いてしまったそうです。

私の仕事は営業職で、朝は7時頃に家を出て、帰宅時間は20時頃でした。

家族だんらんを楽しみ、子どもたちを寝かしつけたあと、会社への日報や得意先への見積もり等をノートパソコンで作成していました。

長女が満1才になる月からは長男と同じこども園に入園し、預かってもらうようになりました。

当時は朝8時から、夕方16時半までの保育でした。

子どもたちはこども園が大好きで、毎日笑顔で登園していました。


妻が働き始めてから約半年が経ち、パートタイマーから正社員に登用されることになりました。

これを機に、今まで妻独りに任せっきりだった家事育児を分担することになりました。

とは言っても、ほとんどの場合、私のほうが帰ってくるのが遅かったので、妻の負担はあまり減りませんでした。

そして、子どもたちの保育時間が変わりました。

朝7時から、18時30分まで。

ほぼ12時間保育という、幼子にとってはあまりにも長すぎる保育が始まってしまったのです。



異変


私の勤めていた会社は社員数30数名の小さな会社でした。

会社はずっといい意味でのワンマン経営だったのですが、そのトップがクーデターに遭い、経営体制が変わりました。

新しい経営陣は会社に反抗する者、会社の思い通りにしない者を追い出そうとしました。

何よりも自分たちの好みで社員を選ぶようになりました。

会社の考え方に合わせない者は、圧力をかけ、辞めさせる。

そんな恐ろしいことを出入りの業者の方に漏らしていたそうです。

そして会社の体制が変わってから約1年間の間に、10名もの社員が去っていきました。

ここに私は含まれていません。

私は会社を去っていく彼らを見送りながら、いつ自分の番が来るのかわからず、怯えていました。

私の勤めていた会社はタイムカード制ではなかったのですが、会社の組織が変わった時に、営業所にもタイムカードレコーダーが置かれるようになりました。

私は妻がフルタイム勤務に変わってから、月に何度か仕事を定時で上がり、子どもたちのお迎えに行っていました。

定時で上がっても、職場と家が遠かったので、お迎えはいつもギリギリになってしまっていました。

今までは事前に上司に口頭で定時上がりを報告し、承認をもらっていたのですが、タイムカードに定時で打刻がしてあると、新しくなった経営陣は目くじらを立て始めました。

事情を説明し、子どもの送り迎えを許してもらえるようお願いしましたが、反応は恐ろしいほど冷たく、

「なんで男のお前が子育てなんかしているんだ」

「両親にやらせろ。片道1時間で行けるだろ」

「俺は一切子育てなんぞしてこなかったが、子どもは立派に大学に行ってるぞ」

「なんで嫁に仕事を辞めさせないんだ」

などなど。非難の嵐でした。

私は家で妻と話し合いましたが、どうしても妻を家に入れる気にはなれませんでした。

それは仕事をして、充実している妻の姿を応援したくなっていたからです。

また家に入れば妻は精神的に参ってしまう。

それよりは、自分が我慢できるところまで我慢しよう。

そう決心しました。


異変は子どもたちにも現れました。

長男が自家中毒になったのです。


以前は毎日楽しそうにこども園に行っていた長男が、何としてでも行きたくない!と吐き続け、塞ぎ込んでしまいました。

理由を聞いても話してくれませんでした。

長男が休園している間、妻が仕事を休み面倒をみてくれました。

私は仕事を休めず、歯がゆい思いでした。



主夫になる


3月のことでした。

春らしい陽気になり、雪もだいぶ解けてきたころ、私はまた経営陣に呼び出されました。

私はこの少し前にインフルエンザに罹り、まだ病み上がりで頬がコケていました。

話の内容は予測通りで、私を非難するだけでした。

「お前は男として恥ずかしくないのか」

「みんなは頑張ってるのに、お前だけがずるしようったって、許せないんだよ」

「こんな売り上げなのに、なんでお前には定時で帰ろうなんて考えられるんだ。他人の2倍は働け!」

「やる気が感じられない」

「そんなんだからインフルエンザなんかにも罹るんだよ」

私はただ、すみません、すみませんと何度も頭を下げました。

「もういい。お前の嫁が仕事を辞めるか、お前がパートになるか、どちらかだ。次週までに考えておけ」

「いいか、普通はお前からパートにしてください、迷惑をかけてすみませんってお願いする内容だぞ。俺たちに言わせやがって」

ついにきたか、と思いました。

この時、私は胸ポケットにボイスレコーダーを忍ばせていました。

どこまでやれるかわからないけど、労働基準監督署や弁護士を頼ってみよう。

そう考えていました。

しかし、この話を妻に話すと、妻は泣きながら、

「こんな風になっちゃったのは私の責任だから、私が仕事を辞める。だから、あなたは仕事を続けて。変に裁判とか、訴えるなんていう大ごとにするのはやめて」

と言いました。

でも、私は反対しました。

「俺は君が家事育児に苦しんできた姿を見ている。もうあんな地獄に君を戻したくない」

そうは言っても、会社に言われた期限は1週間しかありません。

もうこうなったら、何もしない。

会社に回答もせず、黙々と、できる限りで仕事をしよう。

そんなことを考えていました。

ところが、その考えは一晩で変わることになりました。

あの自家中毒になった長男が、ようやく本心を話してくれたのです。

「ぼく、もうこどもえんにいきたくない。

だって、みんなパパママがむかえにきてかえれるのに、

ぼくたちだけずっとのこされて、

おそとがくらくなって、

きょうはもうむかえにきてくれないんじゃないかって、

パパとママは、ぼくたちのこといらないんじゃないかっておもって、

まいにちさみしい!

もっとパパとママといっしょにいたい!

もう、こどもえんなんかいきたくない!」


私は衝撃を受けました。


俺は、一度でも子どもたちの気持ちを考えたことがあっただろうか?

俺は、何のために働いているのだろうか?

俺が、したかったことは何だっただろうか?



家族を持つということは、男にとっては、守るべきものができるということだ。

その家族を守らずに、仕事をする意味はあるのか?



私は、いままで自分がいかに大きな勘違いをしてきたかということに気付かされました。

そして、長男を抱き、一緒に泣きました。

刺さるような、痛い涙でした。

妻と、訳も分かっていない長女も一緒に泣きました。

ひとしきり泣いた後、私は妻に言いました。

「俺、仕事辞める。家事育児は全部やるから、心配しないで仕事してよ」

妻は快諾しました。

この夜を機に、家族のきずなが一気に深まりました。


翌日、上司に辞表を提出し、ひと月後に退職しました。


おわりに


ここまでお読みいただきありがとうございます。

正直、私の中に主夫になるという選択肢はありませんでした。

自分が主夫に向いているとも思っていませんでした。

ですが、家事育児に苦しんでいる妻の姿をみて、妻を救いたいと思ったのは本心です。

自分ができるかどうかよりも、これ以上妻に家事育児をさせてはいけないと強く感じていました。

しかし、行動に移すことはできていませんでした。

やはり一番のきっかけは長男のひと言です。

息子がずっと私たちに気をつかって、さみしさを我慢していたかと思うと今でも目頭が熱くなってしまいます。

あなたが主夫になりたいと思ったら、まず、自分の心に聴いてみてください。

どうやって家族を守るのか。


それが仕事をすることなのか、主夫になることなのか、それとも他の方法なのか。


あなたが主婦で家事育児が辛いと感じていたら、働くことを考えてみてください。


人にはそれぞれ役割や、向き不向きがあります。


向いていないことを無理してやるよりも、夫婦がお互いの長所短所を理解し、それを補いあえるような形に構築できれば、きっと毎日が幸せになると思います。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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