ゴミ捨ては家事?
もちろん、ゴミ捨ては大事な家事のひとつです。
ゴミ捨てをしないとどうなるか、
- 悪臭がする
- 不衛生
- 部屋が散らかる
など、どんどん生活がしにくくなっていきます。
だから普段家事をしない人も「ゴミ捨てをしているんだから家事をやってる!」
と豪語するのでしょう。
一方で、「ゴミ捨てなんか家事じゃない!」という人もいます。
なぜこのようなズレがあるのでしょうか?
【ゴミ捨て】の言葉の解釈の違い
ゴミ捨てとは、どのような行為のことでしょう?
こう質問すると、返ってくる答えは大きく2つのパターンにわかれます。

ゴミをゴミ捨て場に出すことだよ

前提として自治体の指示に従い、ゴミは細かく分別しておきます。ペットボトルやプラゴミは剥がせるラベルをはがし、きれいに洗って乾かしておきます。調味料などの空容器のキャップもペンチなどで切り離しておきます。その日に出せる種類のゴミをリビング、キッチン、子供部屋、寝室、トイレ、洗面所、客間、仏間、洋間、玄関のゴミ箱から集めて、自治体指定の有料ゴミ袋いっぱいに詰め込む。個人情報が載っているものは外から見えないように。下着や生理用品も見えないように。足で踏んだり取っ手を伸ばしたり工夫してギリギリ結んで、自治体指定のゴミ収集所に出す。ご近所さんと会ったら会釈は忘れずに。軽い会話も。家に戻ったら空になったゴミ箱に新しいゴミ袋をセッティング。汚れているゴミ箱はアルコールで拭くか風呂場で洗う。
前者は家事というよりも「お手伝い」や「ついで」といった感じですね。
一方後者はゴミ捨てという言葉の奥に隠れている過程をきっちりとこなしています。
これは苦労ですよね。
このように、「ゴミ捨て」という言葉をどのように解釈しているかによって両者には大きな溝があります。
仮にこの二人が夫婦だとすると、「ゴミ捨て」問題は夫婦喧嘩の要因となるでしょう。

根本的な問題点
上記の男性のように、仕事をバリバリやっている方でもなぜか家事には関心がなく、お手伝い感覚の方が多いです。
そして、なぜか家事を嫁のやることだと決めつけています。
どうしてでしょうか?
背景を考えてみますと、夫の育ってきた環境がもっとも影響しているように思います。
今から2、30年前。1990年代は家事育児は嫁がするものとされているのが一般的でした。
男は外で働くもの。
女は家にいるもの。
抽象的にそう認識してしまっているのです。
母親が文句を言いながら、辛そうに家事育児をしている姿。
父親が家ではなにもせず、偉そうにあれやれこれやれと命令している姿。
その姿が当たり前だと思い込んでしまっているのです。
一方で、女性はどうでしょうか?
このような両親の姿をみて、
「こんなのおかしい!」
と気付いています。
そして、自分はこうはなりたくない!と思っています。
私が思うに、女性の「気付きの力」は男性の何倍もあると感じます。
女の感と昔の人たちも言っていますし。
昔はこのような異常な家庭環境に気付いていても、行動できませんでした。
家族、親族、世論。様々な圧を受けて耐え忍ぶしかなかったのです。
では、今はどうでしょう?
女性が活躍できる「場」が増えてきました。
仕事の選択肢が増えたのです。
世論も少しずつ変わってきています。
女性が気付いたことを発信できる「場」が急速に増えました。
SNSですね。
こうして、今までは男性にとって当たり前だと認識されていた家事育児が、実は不平等で大変な重労働だという事実が広まったのです。
若い男性ほどSNSの影響を強く受けているので、
「結婚したら男も家事育児をするのが当たり前」
という認識を持っています。
人間は長い物に巻かれる生き物です。
世の中の「当たり前」が変われば、ゴミ捨ての認識も変わるかもしれませんね。
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